「学び」「学ぶ」

▲ 我が街中に居られました

知りました

私の散歩コースの一つに徳林寺があり、昨年正月のトピックスで紹介した観音大石仏が居られるお寺です。このお寺の墓地に涅槃仏(ねはんぶつ)も居られることを知りました。歩くルートを少し変えたことで見つけたのです。
涅槃仏は「お釈迦さまが入滅する様子を仏像として表したもの」ということは知っていましたが、今回、大仏さまの姿勢には以下の意味があることを知りました。

座像(ざぞう);どうすれば人を救済できるか、瞑想している修行中の状態
立像(りゅうぞう);修行が終わり立ち上がって積極的に人に伝えている状態
臥像(がぞう);全ての煩悩が消え、苦が無くなった状態で、最も悟りを開いている高度な状態(目を閉じた像は既に入滅した姿で、目が開いている像は最後の説法をしている姿を顕しているといわれる)

解説している資料により、少々解釈に違いがありましたが、それぞれに意味があったのですね。
見て、調べて、知りました。

クライアントから学ぶ

「クライアントから学ぶ」コーチングで言われる言葉です。先日行った、日本スクールコーチ協会のスキルアップトレーニングで、これをテーマに取り上げました。先立つ準備で私自身に〝「学ぶ」とは何か?〟との問いを立てました。

今まで、私の研修では、
「学ぶ」とは、話を聞いて、考えて、対話して、気付き、行動するまでの行為
と伝えてきました。
「学ぶ」とは、単なる知識の習得「知る」(静的状態)ではなく
・探求のプロセスであり
・新しい知識を生み出す動的状態である

気づきました。
「学び」は名詞形で、「学ぶ」は動詞形ですが、そこに意味合いの違いを感じたのです。「学び」は「知る」に近く、「学ぶ」は「創造」に近いと。

■さらに「クライアントから学ぶ」とは、新しいクライアント像を創り出し、造り上げることであり、これは

夏目漱石が仁王像を彫る運慶に「あれは眉(まみえ)や鼻を鑿(のみ)で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋(うま)っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」と言い、

ミケランジェロが「わたしは大理石を彫刻する時、着想を持たない。「石」自体がすでに掘るべき形の限界を定めているからだ。わたしの手はその形を石の中から取り出してやるだけなのだ」と言った、
これと同じだと納得しました。

伝えたことは

「他に学ぶ」

トレーニングでは、上記私の納得とは異なるレベルで参加者に伝えました。

■ コーチのエンジンは「好奇心」
■ 答は「現場」にある
■ 「問い」を間に置いて対話する

「好奇心」の前提は「人は皆違う」「私は知らない」であり、自分の思い・考えとは異なるはずだから教えてほしい、との在り方が大切である。

・それって、こう言うことですよね
・私にも経験があります
・「分かる、分かる」は最も危険なパターン

このトピックスの締めの言葉として「知るは盲目」