6年生の授業で感じたこと
2年前から行っている小学6年生向け授業では「気持ちを伝える」ことにフォーカスしていますが、昨年からは「自分が伝えたい、言いたいことは何なのだろう」に遡っています。
使っているのがこの「#ひとこと言いたい」シート。
「誰」に「何」を言いたいのか!
家族から世界まで、不平不満が多いですが、提案や感謝の気持ちまで、色々書いてくれ、見ていて楽しく、私の学びにもなります。
どんどん書き出せる子から、なかなか書き出せない子まで幅があります。
これは、当然ですが、その現れ方に「地域性」があるように感じました
外部からの流入が多い(新興住宅地)を含む地域の学校の方が、どんどん書き出す子が多いようです。これは、分かる気がします。
一方、親密性の強い地域の学校の子(幼稚園時代から一緒に育っている等)が、自由に書き出せない・・・。
こう感じたことを校長と話したところ、校長も別の角度から同様の懸念を持っておられました。
〝お互いよく知っている〟〝お互い家族のようだ〟
これが「言う必要が無い(言わなくても分かる)」ので無く「本音を言えない」状況の原因になっているのではなかろうか? と。
ワイガヤな授業は?
今回アイキャッチに使った画像、お利口さんな生徒達ですね。手を挙げて、指名されたら発言する、他の子は良~く聞く。こういった秩序正しい授業風景を望んでいない私自身に気付きました。
それは、私の授業の進行に担任の先生が加わってくださり “発言者をコントロール” 仕始めたとき、私の中に違和感が起こったのです。
私のやり方と言えば、「思いついたら/浮かんがら、直ぐに教えて!」と、手を挙げたら指名を待たなくて良いから “わいわいガヤガヤ” 、その中から私が拾い出していく。
発言しない子には「君はどう?」と声をかけ、必ず承認する。
“個人と関わりながら場をコントロール” していく進行法。
単発イベントの授業だから出来る手法でしょう、年間を通してのクラス運営手法ではないでしょう、という声が聞こえそうですが・・・、そうかな~~
授業では「Iメッセージ」という伝え方・言い方を考えるところで時間切れになり、
「ひとこと言いたくなる」「言いたいけれども言えない」自分の気持ちを振り返るところまで立ち入れていないのを残念に思っています。
これは、大きな課題です。
こちらの写真は、前回のトピックスで紹介した「帯化ヤマユリ」です。地域情報を発信しているサイト(チイコミ!)で見つけたので、お借りしました。
「秩序」をぶっ超えていますね! 何でこんなに!?