本物の天守
松本城の天守は、安土桃山時代末期~江戸時代初期に建造された現存天守の一つで、国宝に指定されています。天守が国宝指定されているのは5城で、姫路城、犬山城、彦根城、松江城です。五重の天守は、姫路城と松本城だけとのことです。犬山城は未訪問、私の未完了ですね。
松本城は平城で、天守を囲んで三重の水堀が巡り、北アルプスの山々を借景として堀に姿を映すその姿は、他の城では見られない絶景と言われます。

この日は、残念ながらその遠景を望むことはできませんでしたが、お堀では一羽の白鳥に、お城を一回り観覧した直後にはゲリラ豪雨の歓迎を受けました(^0^)
ここからは、以前見た「ブラタモリ」情報ですが、松本城が国宝指定されたのはその複雑な形状ゆえだった、と説明していました。合計5つの天守と櫓(やぐら)がつながって、いろいろ付け足しされているような形です。
その特殊な形状は、武田信玄、石川数正、松平直政の3人の手を経て増築された結果だとのことです。
一番上のアイキャッチ画像では、広い本丸御殿跡の芝生に建てられている看板の上方、こちらの写真でいえば白鳥の頭の上方部分に見えている、基礎部分が白い漆喰で、朱の手すりも見えている建物、これは世の中が落ち着いた江戸時代寛永年代に増設された「月見櫓」です。月見櫓は三方を開放し、朱塗りの欄干と舞良戸(まいらど;細い桟の板戸)で周囲を巡らせるという優雅な全く武備がない建物です。

この「月見櫓」が造られたのは、善光寺参りをするという徳川家光将軍が途中松本城に宿泊を希望したために後から整備したのだと、ところが!家光が泊まることは無かったとのこと、ここまでブラタモリ情報でした。
こちらの写真は、天守から見下ろした「埋橋(うずみばし)」、朱色が映えます。埋橋は、堀に掛けられた橋であり、もともとは堀の中に塀(へい)を築き、敵の移動を妨げる足駄塀(あしだべい)があったことが知られますが、構造が詳らかでないため、昭和30年(1955)に朱塗り八ツ橋型の現在の橋が架けられたとのことです。
日本浮世絵博物館
アメリカ人の孫と、松本城の美しい姿、天守内部の急階段の上り下りを堪能したあと、ゲリラ雷雨から逃れるように「日本浮世絵博物館」を訪問しました。

ここは、江戸時代に松本で紙問屋として財を成した酒井家の浮世絵コレクションを保存・研究・公開するために作られた博物館です。
受付の人が、気を利かせてロビーに流れている館内解説ビデオを英語版に切り替えてくださいました。
「ありがとうございました」
(私には、分からなくなりましたが・・・)
収蔵作品数は肉筆画約1,000点を含む約10万点にといわれてる凄い数です。葛飾北斎や喜多川歌麿など私でもよく聞く有名な作家の有名な作品を見ることが出来ました。
ちょうど今は「数字でわかる浮世絵」と、数字を切り口にした展示を行っていました。
「富嶽三十六景」「名所江戸百景」「八景」「六玉川」といった風景はもとより「三国志」「四天王」のように物語を題材にしたもの、題名に含まれる数字に注目した展示です。
そういわれれば、浮世絵の作品名には数字がよく登場しますね~


