川越を散策

▲ 川越・蔵造りの町並み

蔵造りの町並み

川越には蔵造りの町並みが今も残っています。蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で、江戸の町家形式として発達し、上の写真のように東京では見ることのできない江戸の面影をとどめています。

川越・氷川神社「風鈴のトンネル」

平成11年12月には国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、平成19年1月には「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されました。そのお陰で、日本人や外国人の観光客が一気に増え、暑さにも負けずレンタルの浴衣姿も多く見られます。

こちらの写真は川越・氷川神社、江戸時代に川越城下の総鎮守となり、歴代の城主をはじめ城下の人々の厚い信仰を得てきました。
今は、「風鈴のトンネル」が〝映える〟と有名になり、こちらも大勢の人でごった返していました。

?、そんなに人混みになっていませんねこの写真。実は、自撮りしている人を消しています。今のAI画像処理機能は凄いですね。上の蔵造りの町並み画像でも道の真ん中にいた邪魔者(^0^)を消しています。

川越大師喜多院

江戸時代の喜多院

天台宗川越大師喜多院の歴史は、奈良時代にまで遡るとも言われています。
喜多院となったのは慶長17年(1612)徳川家康の信任を得る天海僧正が、住職となってからのこと。寛永15年(1638)1月の川越大火で現存の山門以外が全て焼失しましたが、三代将軍徳川家光がすぐさま復興を命じ、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築して、客殿、書院に当てたそうです。
家光誕生の間、春日局化粧の間があるのはそのためで、その他、慈恵堂、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神社など、現存の建物を数年の間に相次いで再建し、それが現在、国の重要文化財として保存されています。

喜多院・五百羅漢

山門脇には「五百羅漢」があります。羅漢とは悟りを開いた高僧のことで、日本三大羅漢の一つにも数えられる喜多院の五百羅漢は50年の歳月をかけて完成したそうです。
喜怒哀楽から、内緒話をしたり七輪でお湯を沸かしたり動物を従えていたりと、一つとして同じものはない様々な表現の羅漢の石像が538体並んでいます。
また、深夜こっそり羅漢さまの頭をなでると一つだけ温かいものがあり、それが亡くなった親の顔に似ているという言い伝えも残っています。

お金持ちの羅漢様

これもインバウンド消費か、コインが置かれている羅漢様が多い中、この尺八を吹く羅漢様には千円札が挟み込まれていました。
この写真は合成ではありません、本物です。円安がインバウンド消費を押し上げている中、急にお金持ちになられましたが、邪念が湧くことは無いでしょう・・・

実はこの川越散策、生まれも育ちもニューヨークの孫が一人で来日し、一緒に巡ったものです。
日本語が不自由な人に説明・解説をするとなると、学び直すことが多いですね。新たに知ることも多々あります、お陰様。