日本のポンペイ

▲ 鎌原(かんばら)観音堂;天明3年浅間やけ遺跡

生死を分けた石段

天明3(1783)年、浅間山大噴火の土砂なだれで埋め尽くされた鎌原村(かんばらむら;群馬県嬬恋村)で唯一残った建物が、上の写真「鎌原観音堂」です。
目の前の石段を駆け登り生き残った村人は93人、477人の命が奪われました。写真に見えている15段の石段の手前、赤い橋の下に続く階段から2人の女性遺体が発掘されています

嬬恋郷土資料館資料

「日本のポンペイ」と例えられた発掘調査が始まったのは昭和50(1975)年、その後も調査・試掘・出土品の整理研究が続けられています。

私は、数年前にこの災害の歴史を知ったのですが、「行きたいリスト」に掲げただけになっていました。
今回、信州での用件に合わせ、その帰路に組み込みました。

観音堂に隣接して建てられている「嬬恋郷土資料館」には、発掘品などの展示と共に、その復興の歴史も残されていました。
その記録「幕府による再開発」「家と村の再建」に関する部分に大変興味深い記述がありました。
生存者93人には均等に土地配分された事や、家筋や素性の差を取り払い一族としてまとめ直したとの事。現在の形(おも立った家屋)に復興するのには約100年かかったそうです。

未来に向けて災害と復興の語り継ぎ

鎌原地区では「未来に向けて災害と復興の語り継ぎ」が行われています。何が起こるか、人智を超えた自然の力を押さえることは出来ませんが、起こった事や起こる事に「どう対応するか」は、人智を活かすことが出来るはずです。

「未来を語る」という表現に・・・何か自分事から離れた感覚を抱いている自分に気付きました。
これは正に「私はもう歳だから」と言って逃げている年寄りの姿ですね。
「残された人生に何が出来るか」出来ることに目を向けようと思います。

そのためには先ず健康、今までピンピン元気を〝佐久のぴんころ地蔵様〟にお願いしてきましたが、これからは頭の元気、ボケ防止を〝鎌原の十一面観世音菩薩様〟にお願いしようと思います。観音堂でこんな「夫婦箸」が目に入ったのです!
この箸袋の裏には「南天(なんてん)箸は古来より難儀(なんぎ)を転(てん)ずると言われております。この箸は、越後の〝胎内観音菩薩 御宝前〟にてボケ、中気、封じを御祈祷してあります」と記されていました。

一見、マイナスの要素に見える事柄も、プラスの要素に「てんじる」のは自分の解釈なのですよね。南天!南天!!