望む人生に向けて「修活」
「しゅうかつ」、「就活」ではなく人生の「終活」という言葉が聞かれるようになって久しいですが、私は「修活」を使います。
今年は、酷暑による肉体的なダメージに限らず、感覚機関や脳の働きにも変化を感じる夏でした。その変化を受け入れた時に「修活」が浮かんだのです。
「終了」ではなく「修了」するためには設定したゴールをクリアする必要があります。
私の人生のゴールは何? これを問いかけた時、20年以上前、コーチとして独立した時に考えた「望む人生」がクローズアップされました。
〝魂に正直に生き、人々の喜びが自分の心地よさになる人生〟
これを基準に、いま行っていることを仕分けすることにしました。
心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず
具体的な基準は「楽しいか否か」、非常に自分勝手な基準です。しかし、私の魂が喜ぶか否かに通じる大切な基準です。
これを考えている時、あの孔子が自身の人生を振り返って語った『論語』の一節がシンクロしてきました。
〝七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず〟
「七十歳になったとき、私は、自分の心がしたいと思うままに行動しても、人としての道理や決まりごとを、踏み越えることはなくなった」
やりたいことをやりたいように行い、自分らしい生き方を貫くが、その結果は、社会に対して迷惑をかけたり、人を傷つけるようなことにはならない。自然に「自我と倫理のバランス」がとれているのが70歳になった時の理想像だと、2500年以上前に言っているのです。
私の「望む人生」と共通している、と嬉しく思いました。私が “楽しい” “心地いい” と感じて自由に行動することが、結果的に、周りの人の心も温かくする・・・
孔子は70歳で到達したのですね、私も80迄にそこを目指します。

この写真は、散歩道のイチョウに実った銀杏(ぎんなん)ですが、銀杏の悪臭は有名です。
何故なのでしょう、
美味しい銀杏が臭いのは?
種の保存、繁殖の原理に因れば、芳香で動物を引き寄せ食べてもらって種子部分を散らかしてもらうことを狙うはずなのですが。
実態は、イチョウは「生きた化石」とも呼ばれ2億年の昔から生き残り繁栄している樹なのです。
結果論的には、悪臭で毛嫌いされる程合いが丁度良かったということなのでしょうか。好かれすぎると食い潰されてしまう、ということ?
イチョウを見習えば、「望む人生」の在り方を考え直さないといけなくなってしまいます(^0^)・・・ 「自分軸をしっかり持つ」ことが必要ですね。

こちらの写真は、我が家の近所の「もみじ」、明らかに変です。
葉の中央部分、紅葉するかのように見えるのですが、次の状態は枯れてしまっています。
酷暑の影響ですね、間違いなく。
最後の美しい姿を見せること無く枯れてしまうのは寂しいです。
もみじの望む人生、修活の姿を奪ってしまったのは何だ!誰だ?


