よみがえる城下町

▲ 一乗谷の出入口「下城戸(しもきど)」

朝倉氏遺跡を散策

〝戦国ファン必見!現代によみがえる城下町「朝倉氏遺跡」を満喫〟
このキャッチに惹かれ(実は北陸の温泉巡りにも惹かれ)、戦国時代に朝倉氏が拠点を置き、織田信長により焼き討ちされた一乗谷(福井県福井市)を探索してきました。
上の写真、城下町(一乗谷)の出入口「下城戸(しもきど)」と呼ばれる門があった場所で、道はカギ型になっており巨大な石が積み上げられています。先ずは、その大きさに圧倒されました。

朝倉氏遺跡のシンボル「唐門」

一乗谷朝倉氏遺跡のシンボル、朝倉館の入り口に当たる門「唐門」
唐門は朝倉義景の館跡の入り口、
そこは三方が土手と濠で囲まれており、常御殿、主殿、会所などの建物、また、日本最古とも言われる花壇がありました。
館跡庭園には力強い滝の石組、護岸石組が残されており、洗練された石組から、京都との文化の交流があったことがうかがえるそうです。
その奥の丘には「湯殿跡庭園」があり、ここにも荒々しい巨大な石組があり、その強く迫力のある石組は室町時代前期のものと推定され、一乗谷の庭園でも最古のものと言われています。一乗谷のポイントとして「石」を感じました。

朝倉氏家紋「三ツ盛木瓜」
豊臣秀吉の家紋「五三桐」

「唐門」自体は、朝倉義景の菩提を弔うためにこの場所に創建されたお寺「寺松雲院」の門で、豊臣家が移築寄進したと伝えられているとの説明もありました。
門をよく見ると外向きには朝倉氏の「三ツ盛木瓜」の家紋、内向きには豊臣秀吉が使用していた「五三桐」の家紋を見つけることができたのですが・・・、そこにある(潜められている)意味がよく分かりません・・・

復原町並

復原町並みにて

もう一点、この遺跡のポイントは、1967年から現在なお続けられている発掘調査により明らかになった町並み。
一乗谷には当時、京都のような整然とした町並みがあったことが確認されているのです。
その武家屋敷と町屋からなる町並みの一部が復原されているのが「復原町並」、塀に囲まれた重臣の屋敷が山際に並び、計画的に造られた道路をはさんで、武家屋敷や庶民の町屋が建ち並んでいた様子をうかがい知ることが出来ました。ここでも石組みに惹かれました。