随身門及び随身像
上の写真、2021年12月のトピックス「銅葺き屋根の山門」で紹介した堀兼神社です。その時は、鳥居と本殿の間にある建物の真新しい銅葺き屋根の美しさに感動したのですが、神社だから山門とは呼ばないはずと書いたこの建物、大がかりな改修工事と共に、そこに納められていた二体の像も修復に出されていました。
その修復が終わり戻ってこられた、との情報(狭山市HP)から色々なことを学びました。
この建物は神社の入り口にある門で「随身門(ずいじんもん)」と呼ばれ、寺院の仁王門に相当するもの。
左右に随身像を安置し、邪悪なものが神様のいる聖域に入るのを防ぐために建てられているそうです。
二体の像は、向かって左側が豊磐間戸命(とよいわまどのみこと)、右側が奇磐間戸命(くしいわまどのみこと)で、俗に矢大神(やだいじん)、左大神(さだいじん)と呼ばれる神社を守る神様です。
修復前は像の彩色の一部が剥げ、眼や弓の弦の破損等があったのですが、それらはすべて修復され、この写真のように、紋様等は再描写、彩色し直されました。
狭山市内唯一のこの門は、万延元年(1860)に両神像の塗り替えをしたとの記録が残っているそうで、江戸時代後期には創建されていたと推定されています。
「随身」?「随神」?
調べる中で、随身と随神が混在していることに気付きました。
左右二神共、弓と矢を携え剣を帯びていますが、これはその昔、武装して貴人の護衛にあたった近衛府(このえふ)の舎人(とねり)の姿で、彼らは「随身(ずいしん)」と呼ばれていたのです。
その「随身」が転じて、主神に従い守護するという意味で「随神」となったと言われています。
今回の散歩では、再現された江戸時代の文様や、鮮やかな色彩を鑑賞することが出来ました。
それから、このお二人「虎の皮」を敷いて居られることに気付きました、よく見てください。神様っぽくないですね、見た目は「随身」ですね。
「徒然草」の中に「ただ人も、舎人(随身)など賜はるきはは、ゆゆしと見ゆ」と書かれており、この「随身」を賜わることは「兵杖(ひょうじょう)」を賜わるともいい、武人にとってはこのうえもない名誉であったとのことです。
さて、私は誰を、何を守るべきか?