甲辰(きのえ・たつ)

▲ 佐久成田山 飯縄宮の手水舎(ちょうずや)

十干十二支(じっかんじゅうにし)

干支(えと)は「十干(じっかん)」と「十二支(じゅうにし)」を組み合わせたもの。今年の「甲辰(きのえ・たつ)」は物事の始まり、第一番目を示す「甲」と、勢いがあることを象徴する「辰(龍)」の組み合わせで、
「新芽が勢いよく成長する」
「成功の芽が成長し、姿を整えていく」
という縁起の良い意味を含んだ年です。
また「甲」には、まっすぐに堂々とそそり立つ大木も表しています。

「明けましておめでとうございます」
このような年を迎えた私、どんな芽を出し伸ばして整えていけば良いのか。元旦の今、明らかになっていません。

龍が飛び鳳凰が舞う

龍飛鳳舞

そんな私の元に昨年暮れ「龍飛鳳舞(りゅうひほうぶ)」の書が、義理の妹から届きました。
実は昨年、家族に少々やっかいな病巣が見つかった者がおり、入院手術を越えてきました。それに対する応援メッセージと受け止めました。ありがとうございます。

この熟語は、文字通り「龍が飛び、鳳凰が舞う」ですが、「大きくはばたき、運気を転換し、大望を成就する」という意味を持っていると言われています、これも縁起の良い言葉です。

干支やこのメッセージに、応えるためには先ず心身の「健康」ですね。
肉体の老いは自然の法則ですが、それを加速させている現状がありますので、先ずそれを止めます。また肉体の老いは「新しい芽が出る」ことを否定することではありません。「もう歳だから云々」を封印します。老いていくことは不幸なのではなく、それを嘆いていることが不幸なのです。心の健康がここに在ります。

老いを諦める

仏教で言う「諦め」は「明らかにする」ということ。「give up」ではなく、「clarify」なのです。
今起きている事象を正しく見て、明らかにすることを意味しており、これを「正見(しょうけん)」と言うそうです。

「正見」は、良い悪いを判断するのではなく、それ以上でも、それ以下でもない。ただ、今起きていることを正しく見るだけなのです。
「もう歳だから」は、自分で自分を縛り付けている典型ですね。そこから解き放たれたら、どんなに自由でしょうか。状況を難しくしているのは自分自身のようです。
「新しい芽」は、必ず見つけます。