2017年1月

明けまして
おめでとう
ございます
  
「手放す」

龍安寺
  ▲龍安寺の石庭

本来無一物、無一物中無尽蔵

「人は裸で、何も持たずに生まれ出てくる」
「何も持たない、執着の無いところに無尽蔵の可能性がある」どちらも禅語です。
 新年に向け、自らの在り方を考える中で“執着を手放す”という言葉が浮かんだ後、この禅語がシンクロしてきました。
 「禅の庭」の創作活動で有名な曹洞宗徳雄山建功寺住職、枡野俊明さんによれば、「枯山水」さらに「石庭」は、何も無いから気持ちがゆったりとしてくる。石と白砂によって暗示される「とらわれのない」「執着しない」禅の心が見る人の心を洗い流し、のびやかな開放感を与えるのだと。

社会への還元

 私の中で、「手放す」には“個”から“全体”(個人から社会)への還元という意味も含まれています。やっと、今ごろ「頂いたものをお返ししたい」と思えるようになりました。 本年も宜しくお願いいたします。

2017.1.1

穏やかな
元旦の朝
窓から望む富士

富士山
  ▲書斎の窓から望む富士

暖かく、穏やかな朝

 今年の元旦は、暖かな日差しと、富士の姿に迎えられました。私の書斎には富士山が見通せる贅沢な窓が付いているのです。昼から近所の神社を一巡り、初詣のはしごで10km程の散歩を楽しみました。10km散歩(ウォーキング)は、私の生活にしっかり定着しています。

2017.1.1

梅に鶯
梅に目白
熱海梅園で

梅にメジロ
  ▲やっとの思いで撮影できた“鳥”

熱海梅園で

 熱海温泉でゆっくりしてきました。今は、ちょうど“梅まつり”、来週からは“あたみ桜まつり”。梅の香りを楽しみました。
 日本人にとって「梅」と言えば「鶯(ウグイス)」、「梅に鶯」ですね。上の写真、満開の梅の中、見事に小鳥を捉えているでしょ! 何回もシャッターを切った努力の一枚です。でもこれは「梅に目白(メジロ)」です。目白を鶯と間違えたのだ、とよく言われます。鳥の名を間違えている人は大勢居ますが、本来「梅に鶯」とは、“梅に鶯が飛んでくる”ことではなく、春の訪れを待ちわびる思いを表現した“美しく調和する例えの成句”だそうです。鶯は「春告鳥」とも呼ばれていますからね。
 梅園では、“満開のあたみ桜”も見つけました。もうすぐ春ですね〜

2017.1.21

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